人生に行き詰ったら読むblog♪

氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

ユルスということ

前回の記事では

しあわせについて書きました。

charlotte102.hatenablog.com

 

私たちはいつも

仕合わせの中にいて

それをどう感じるかは

自我によるものであり

不仕合わせなんてことは

たったの一つも無いということ。

 

本当はしあわせなことなのに

ふしあわせを感じることは

日常的によくあることです。

 

これって大きく

ズレているということですが

このズレを感じると

私たちはふしあわせな

氣持ちになるわけです。

 

だからこのズレを

無くしていけばいいわけですが

そのためにやることは

ただただユルスことです。

 

カタカムナでユルスとは

ユ:湧き出る

ル:止まる 留まる

ス:一方へ進む

 

この場合の

湧き出る(ユ)ものとは

感情のことでしょう。

湧き出るというのは

自分の意志に関係なく

自然にそうなるべくして

出てくるということです。

 

日々穏やかに過ごしたいと願いつつも

状況によってどうしようもなく

湧き出てくるのが感情というもの。

これを無理に出てこないようにと

押さえつけたり

無視したり…とすると

不思議なことに自分にとって

もっとよろしくない現象が

起きてきたりします。

引き寄せの法則の一面です。

 

その湧き出てくる感情は

押さえつけたり

無視するのではなく

ただただ観察します。

 

湧き出してくる感情の波に

飲み込まれるのではなく

三者のような視点で観察するのです。

そうしようと意図すると

それほど激しい波でなければ

結構簡単にできます。

激しい波だと少し手こずりますが

慌てなくても大丈夫です。

後からでもいいのです。

 

この観察者の立場になれると

波より高くもしくは離れた

安定した視点に立てるので

どうせなら極限まで

出してみようという氣になります。

するとそれは意外にも

簡単に出きっておさまります。

 

留まる(ル)というのは

ゼロポイントに到るということ。

ゆっくりと呼吸を

観察してみましょう。

息を吐ききったら

次は吸います。

逆に吸いきったら

次は吐くわけですが

この相反する二つの動きの間には

ちょっとした間があります。

陰極まって陽

陽極まって陰の極まった間です。

これが中庸。

 

感情の波がただ自然に

おさまるのを待って

この中庸に留まってみると

ああするべき

こうあるべきという

べき思考が無くなり

ただそのものを観察できるわけです。

 

中庸の目(心)で観察してみたら

その感情が湧いてきた理由が

分かるかもしれません。

これはその感情を感じた人にしか

分からないものです。

 

この時点で

その感情が湧き出してきた理由が

わかろうがわかるまいが

それほど氣にすることは

無いと思います。

 

この感情は必要があって

湧き出してきたのだと

ただ認める必要はあり

さらにユルスのです。

 

この世界に不必要なことなど

たったの一つも無いのは

仕合わせという観点に立てば

よくわかることです。

 

「あんなこともあった」

「こんなこともあった」を

「からこそ」と捉えるか

「せいで」と捉えるかの

違いは人生を大きく分けます。

 

「からこそ」となかなか

思えないのはやっぱり

昇華されたい思いが

自我の意識を刺激するからです。

 

この存在を認めユルスことで

足に絡みついた根っこのような

無意識レベルにある思いを

取り除ければ

視界は広くなり

心も軽くなり安定して

氣持ちはスーッと前に進みます(ス)。

 

さらにカタカムナ数霊で

ユルスは70であり

「調和そのもの」という意味です。

どんな感情も

排除しようとするのではなく

ただそれをそのものとして受け止め

調和しようとするならばそれだけで

浮かばれなかった思いは

昇華されていくのです。

 

言霊学的にはどうでしょうか。

「ユ」「ル」「ス」の言霊は

どれも母音がウであり

そこに父韻のY・R・Sが

かかって出来た現象子音言霊です。

 

ウは天之御中主の神の意識です。

原初の意識であり

それが現象化した人である

私たちの五官感覚に基づく意識次元です。

人として「生きているからこそ」

という意識の世界観です。

 

生きているからこその喜び

生きているからこその悲しみ

生きているからこその苦しみ

生きているからこその快楽

生きているからこその

孤独感や一体感などなど

いろいろありますが

それらを良いとか悪いとかだけの

判断基準で分けるのでは

やはり自我に主導されています。

 

誰かにとって良いことは

他の誰かにとっては

良くないことであるかもしれません。

だから善悪二元論では

本当の意味の解決には到りません。

 

そうではなく

これは自分を成長させるために

仕合わされてきたことという

意識次元にシフトします。

 

すべては生きているからこその

貴重な経験であったのだということは

きっと人生の終盤に差し掛かった時に

誰でもが心の底から

そう思えることでしょう。

 

どんな苦しみも痛みも

もう二度と味わえないと思ったら

多少感じ方も

変わるものだったりします。

 

生きてるからこそという世界観で

自分という感覚の

維持繫栄(ユ)を意図し

展開していく人生の流れ(ル)に乗り

進化してベースアップ(ス)した

新しい自分となる!

 

経験や体験を乗り越えていく度に

本来は人の魅力は増していくもの。

この魅力を全面に出せるのが

「からこそ」であり

「せいで」では

台無しにしてしまいます。

 

昇華されたい思いは

感情の心地悪さで

その存在を知らしめます。

つまりこれを感じた時が

自分を成長させるチャンスです。

 

過去にこのような記事を書きました。

charlotte102.hatenablog.com

 

とにかくユルスのは自分なのです。

どんな思いも

どんな考えも

どんな感情も

自分の全部をゆるします。

「〇〇のせいで」と

思っている自分をユルスのです。

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「私は仕合わせの中にある」を

意識のベースに置いてみると

特にやりやすくなると思います。

どんなこともすべては

自分を進化成長させるために

起きてくるのであり

その方法こそがユルスことなのです。

 

これができるようになると

自然にその現象を引き起こした

状況や相手などに対して

ユルスどころか感謝の氣持さえ

湧いてくるようになります。

「感謝しなくては」などと思わなくても

自然に湧き出してくるのです。

この時の心地良さったらありません!

 

そうすると本当の意味で

「ありがとうございます」が

言えるようになってきます。

 

ユルスという次元は

神の意識次元であり

ゆるせないというのは

その次元に届きません。

 

結果や現象にばかりとらわれ

〇〇…という考え方を

心地よくない周波数で続けていくと

もうこれ以上ないよというがついて

癌という病氣がメッセージとして

教えてくれることがあることを

島田正路先生の記事で学びました。

※ンは最後の最後に生まれてきた言霊。

 

感情の心地よくない方の波を

特に感じていない時にも

私は日常的に「ユルス」と

ブツブツ言っています。

こうしているとユルスというより

むしろ「ゆるしてください」という

逆の感情が湧いてくることが

時にあります。

「今まで無視してごめんね」

「わかってあげられなくてごめんね」

という思いが湧き上がってきたら

それもただそれとして

素直に感じ切ってみる。

 

荒波になる前の保険的に

やるといいかもしれません😅

落ち着いている時の方が

日常的に無意識レベルで感じている

思いを見つけやすかったりもするので

オススメのワークです。

 

生きていれば

部屋のみならず心にも

ホコリや汚れはたまるもの。

一度取り除いたから

もう二度と

掃除不要ということは

ありませんよね。

時には節目節目の大掃除もあります。

そういう時は

大きく変わる時ですから

多少ハードでもがんばりましょう。

 

全ての現象は仕合わせであり

自分の為に起きているという

意識次元に立ったならば

あなたはあなたが見て

生きる世界に

どのような現象を望みますか?

 

ユルスことで

自分の世界の中心に立つ自分を

整えて安定させ

望む世界の創造主となりましょう!

 

今回も最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

P.S.

言霊学による古事記読み解きシリーズを

何とか更新したいと思っているのですが

どうにも自分が納得いくように

記事をまとめることができずにいます。

記事を書き進めるには

まだまだ学びが必要です。

自分が納得いくような記事が

ちゃんと書けるようになるまで

しばらくお時間を要すると思います。

その間は学びを進めていくうえで

氣がついたことなどを更新していきますので

どうぞよろしくお願いいたします。