人生に行き詰ったら読むblog♪

氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

ゴメンナサイという言霊

前回の記事では

ユルスということについて書きました。

charlotte102.hatenablog.com

 

私たちは自分の外側に

いろんな現象を見ては

それぞれが

自分という立場から

いろいろに解釈し

いろいろに感じ

いろいろに思考します。

 

これまでの私たちの

当たり前のパターンとして

その思考の矛先は

起きてきた現象に向いていました。

 

しかし本来の私たちは

自分という存在であるので

そのように解釈する自分

そのように感じる自分

そのように思考する自分というもの

つまりらを析する生き物なのです。

 

その観点に立つと

全ての現象というものは

自分を知るための鏡であり

道具であるということになります。

 

鏡を覗いて

顔にご飯粒が付いていたら

顔に手をやるのであって

鏡に映る顔に手をやる人は

おそらくいません。

 

鏡は顔にご飯粒が付いているのを

見せてくれたに過ぎず

それ以上でもそれ以下でもないわけです。

 

現象を見聞きして

心が動くということは

何か対応すべき内容が

心の中にあるということです。

 

自分自身に許していないことは

だいたいにして他人に対しても同様です。

つまり他人の言動に腹を立てるのは

「自分に対しても許していないこと」

だということがわかります。

 

許せないことが多いと

窮屈な人生になります。

もしもすべてが

許せるもしくは

許される世界であったとしたら

どんな世界になるでしょうか。

 

私はこう思います。

全てが許される世界において

誰かや何かを傷つけたいという心は

起きてこないのではないかと。

 

アレもダメ!

これもダメ!

と許されない世界こそが

自他ともに許せない心を作り

その心が圧迫に圧迫を重ねた挙句

自分の心を押しつぶし

歪んだ心を歪んだ世界を

作る原因となったのでは?

と思っています。

 

問題や責任や原因を

自分以外のところに探そうとする

心の動きは

どこまで行っても後手後手であり

本当の意味の問題解決にはなりません。

そうでなかったら

新しい問題は起きないはずです。

 

問題や責任や原因というものは

いつだって自分の中にあるのであり

外側には無いのです。

 

そうはいっても

一つ一つの感情に対して

丁寧に対応していくのは

なかなか大変なことですが

とても簡単な方法として

「ただその感情を受け入れて許す」

というものがあります。

 

自分が見る世界というのは

自分の内側を映し出す鏡なのだから

ただそうかと認め

それを無視したり抵抗したり

攻撃したりせずに受け入れて

そう感じ

そう思うことを許す。

 

するとふと反対の感情が

湧いてくることがあるのです。

 

それが許すとは反対の

「ごめんなさい」です。

 

今まで無視してごめんなさい。

わかってあげられなくてごめんなさい。

否定しちゃってごめんなさい。

…そんな感情です。



前置きが長くなってしまいましたが

ごめんなさいという言葉について

今回は考えてみたいと思います。

 

まずは言霊学的解釈から。

 

ゴというのはコの働きが

完了した形態を表します。

生まれてくる前の世界から

また生まれてきてからの

いろんな記憶を掻き集めて

この人生はこう生きる!という

思いと意氣込みをもって

生まれてくるのがコ(子)です。

 

そこに濁点が付いてゴとなると

ある程度の時間の経過を経て

生まれてきたばかりのコの状態とは

違った形態に変化しています。

時間を経てきた分

いろんな経験をさらに積み

成長したの状態がゴと解釈できます。

 

メは自分の為だけではなく

皆のためであり世界のためという

道徳的な意識が具現化したもの。

目はそのつもりで使うべきものですね。

 

ンは五十の言霊の一番最後であり

もうこれ以上は無く

限りであるということ。

 

ナは思いが凝縮されたもの。

名がその人その物を表すように。

 

サは氣持ちを鎮めようとする働き。

 

イは意志です。

 

いろんな経験を

積み重ねてきたうえで

道徳的に大我の心で

すべてを承諾して

改めてふり返って見てみれば

その思いの本質がわかり

そうかと感情は鎮まっていく

これをしようとする意志が

ごめんなさいという言葉に

表されているのではないでしょうか。

 

またカタカムナでも

読み解いてみましょう。

 

ゴ:転がり出る・入る

メ:指向・思考・芽

ン:かかる音を強める(この場合はメ)

ナ:核・重要なもの

サ:遮り・差

イ:伝わるもの・陰

 

ふと転がり出てきた

強い指向(思考)は

重要なものとの差である

食い違いを陰ながら伝えてくれるもの。

これがわかった時に

ゴメンナサイという言葉が

自然に口から出てくるのかもしれません。

 

一度こういう氣持ちになると

いろんなことに感謝が足りていなかった

ということに氣づいていくことになります。

 

たとえば自分の体。

つい自分のものだと勘違いして

ここが氣にいらない

あそこが氣にいらないなどと

文句を言ってはいじめたり

暴飲暴食を重ねてみたり…と

ずいぶん自分勝手な思いや

行動を自分の体に対して

取ってしまっている人は

少なくないと思います。

 

でもよくよく考えたら

この体を無くして

私たちは人生を経験することなど

できなかったわけで

これからだってそうです。

 

生きていたいと思ったって

体にその意志が無ければ

私たちはもうそれ以上

人生を歩むことはできなくなります。

自分のものだと思っているのに

自分の好き勝手にはできないのが体。

 

今まで粗末に扱ってきてしまって

本当にごめんなさいという

氣持ちが湧いてきたら

ぜひセルフハグをして

生きているからこその

経験・体験をさせてくれる体に

心から感謝してみてください。

きっと自分自身の

パフォーマンスが良くなるのを

感じられることと思います。

 

もちろんこれまでずっと

押さえつけていた感情や

思いなんかに対しても

ゴメンナサイと自然に思えるようになると

本当の自分である真我と

より個である自我の意識との

距離が縮まって

生きやすい人生になること請け合いです。

 

そう思わないと言えないのではなくて

言うことでそう思えるようになるという

言霊の効果をぜひお試しいただきたいと思います。

 

今回も最後までお読みいただき

ありがとうございました(^▽^)♡