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氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

言霊学「高天の原」って?~アセンションしたい人向け~

神社などで祝詞の奏上を

聞かれたことがある方は

多いと思いますが

その中に出てくる

「たかまのはら」って

ご存知の方はそんなに

いらっしゃらないのではないでしょうか?

 

古事記の特に上巻は

神話と認識されており

高天の原という言葉は

この古事記にもよく出てきます。

 

古事記の最初は

このように始まります。

 

天地の初発(あめつちのはじめ)の時、

高天の原(たかまのはら)

成りませる神の名は、

天の御中主の神(あめのみなかぬしのかみ)。

次に高御産巣日の神(たかみむすびのかみ)。

次に神産巣日の神(かみむすびのかみ)。

この三柱(みはしら)の神は

独神(ひとりがみ)に成りまして、

身を隠したまひき。

 

天地の初発については

こちらの記事にありますので

よかったらご参照ください。

charlotte102.hatenablog.com


 

ビッグバンのような現象が起き

プラスとマイナスの均衡が崩れ

突如現れた意識であり心。

 

高天の原はこの心や意識が

存在する世界であり場だと

捉えられると思います。

仏教では「空」と呼ばれます。

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古事記では高天の原と

書かれているようですが

本当の読み方は

「タカアマハラ」だと

言霊学では言われています。

 

現在日本人の私たちが

使用している五十音図ですが

これは天津金木音図(あまつかなぎおんず)

と呼ばれています。

 

五十音図には実は

種類が他にもあるのです。

そのうちの

天津太祝詞音図(あまつふとのりとおんず)

と呼ばれる音図の中に

「タカマハラ」という並びが

隠れているのです。

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天津太祝詞音図

 

見つかりましたか?

この音図についての説明は

後々していくことにしますね。

 

タカマハラ

これをカタカムナ数霊で読み解くと

130であり

1は「根源から出たり入ったりするもの」

3は「光・実体」

0は「そのもの」を示します。

「出ては表われを繰り返す実体そのもの」

さらに13は「広がり」となり

「広がりそのもの」とも

捉えることができます。

 

また言霊学の方で検証すると

タは「大事なことを押し進める」

カは「チカラ(動力・分析力・判断力など)」

マは「真であり間(スペース)」

ハは「言葉の要素・素材」

ラは「螺旋状に進化」

という意味がそれぞれに当てられていて

全体的に解釈しようとすると

大きなことを成し遂げるための

力であり空間であり道具であって

それを進化させるための働き

と解釈できます。

 

目を閉じても開いても

意識・心は常に

今ここ(中今)に存在します。

 

眠っている時でさえ

自覚は無いものの

潜在意識というものが

常に働いているのです。

 

この意識・心というものが

存在する世界すべてが

タカマハラとなります。

 

何かの事態に遭遇し

もしくはふと思い立って

自分の心の中で

いろいろに思考し

それが言葉となり

発言することによって

他の人たちに

自分の心の中が伝わり

そうすることで

意識が共有され

自分だけのものではなくなります。

 

また発言することで

自分の中からいったん出し

それが耳から伝わってくることで

確認や再検討されることにも繋がります。

 

自分以外の人のフィルターを通し

すり合わせることにより

それはもっと洗練されて

実際に社会をもしくは

世界さえも大きく動かすような

現象や事態を起こすのです。

 

私たち一人一人は

それぞれに肉体を持ち

それぞれの考え方や

感じ方を持っているために

別の存在と認識しがちですが

実は一人一人は

細胞一つ一つのようなものであり

ジグソーパズルのピースのようなものです。

これをワンネスと言います。

 

ひとくくりに細胞とは言っても

細胞にもそれぞれの担当箇所や

役割や機能が決まっています。

 

どの細胞であろうが

あなたを構成している細胞は

あなたと言っても過言ではありませんね?

 

そしてどの細胞も

無くてはならない大事なものです。

 

パズルのピースも同様です。

それぞれに色合いや形が異なり

ふさわしい配置箇所が

きちんとそれぞれ決まっています。

同じものは存在せず

たった一つのピースでも

それ無くしては

絵は完成しないのです。

 

実は私たち人々もこれと同様なのです。

 

だから似たような人がいることや

似ているようでもみんな違っていることは

当然のことなのです。

まったく同じなら必要ないのです。

 

私たちの肉体は生きていても

その中で細胞は生まれ変わります。

 

私たち人も

死期が訪れれば死にますが

一方で新しい命が生まれ

この世界は続いています。

 

死というのは

恐ろしいことではなく

単にその魂の役割と目的を

十分に果たしたからこそ

訪れるものであり

他者がどううのこうのと

ジャッジするようなものでもありません。

 

どんな亡くなり方をしようと

それはその人の魂が

目標を達成した瞬間なのです。

 

ちょっと話が逸れてしまいましたが

高天の原というのは

私たちの意識や心というものが

存在する空間・場所・世界であり

その働きをフルに使って

実現する世界でもあるということが

ご理解いただけたでしょうか?

 

何かわからない点や

自分はこう思う!などあれば

どんなに小さなことでも

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ぜひご連絡ください。

一緒に学んでいきましょう。

 

今回も最後までお読みいただき

ありがとうございました(^▽^)♡

 

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