古事記とは言霊学で読み解けば
この宇宙の初まりから
現在に至るまで
そしてさらにはこれから
どのような時代に
移り変わっていくのかがわかる
ものすごい書物だったのです。
単なる日本最古の書物というだけの
認識にしていてはいけないものでした。
そこで言霊学を学びながら
自分にさらに落とし込むための
アウトプットがてら
古事記に出てくる
メッセージを皆様に
少しでもわかりやすく
お伝えすべく記事を
書いていきたいと思います。
まず古事記の最初は
このような文章で始まります。
天地の初発(あめつちのはじめ)の時、
高天の原(たかまのはら)に
成りませる神の名は、
天の御中主の神(あめのみなかぬしのかみ)。
次に高御産巣日の神(たかみむすびのかみ)。
次に神産巣日の神(かみむすびのかみ)。
この三柱(みはしら)の神は
独神(ひとりがみ)に成りまして、
身を隠したまひき。
今回は最初の
「天地の初発」についてです。
天と地が現れた時
これは実際の天と地のことではなく
ゼロポイントで
プラスとマイナスが
せめぎ合っている状態から
何かの拍子に均衡が崩れ
分かれた瞬間を
想像していただけたらいいかと思います。
何にも無かったところから
急にビッグバンが起きて
この宇宙が広がった。
そんなイメージでしょうか。
天地の初めは
心の始まりを指しています。
心とは宇宙と同様に無限です。
あなたの心の中に
限界というものがありますか?
物心がついて初めて
自分の意識(自我)というものを
知った瞬間とも
または
眠りから覚めて自我の意識が
生まれる瞬間と言っても
いいかもしれません。
目の前に広がる世界は
目を閉じ耳をふさぐと
もしくは一度眠ってしまうと
本当にあるかどうかは
わからなくなってしまいます。
現象というのは
見る人があって初めて成り立つのです。
今あなたの真後ろには
何がありますか?
住み慣れた部屋ならば
窓とか壁とか本棚とか
すぐに出てくることでしょう。
でもしかし
誰かが誰かの目で観測しなければ
本当にあるかどうかの証明は
実際のところできないとも言えます。
これは量子力学の
二重スリット実験というもので
確かめられています。
私は専門家ではないので
詳細は割愛しますが
簡単に言うと
観測者がいなければ
あらゆるものは波のような
不確定な状態であり
観測されることによって
粒のように
確定された物事となるということ。
動きとしてわかりやすいのが
「だるまさんがころんだ」という遊びです。
鬼である観測者が背を向けると
子である者たちは動いて鬼に近づきます。
つまり捉えどころのない波の状態。
しかし鬼が振り向く瞬間に
子は動きをピタッと止めます。
これが確かにあるという粒の状態。
そしてさらに
私たちは無意識下で
あると思い込んでいるものや
見たいと思っているものを
見ているとも言われています。
これはあくまで無意識下であって
自分が意識的に見たいと
思っているものとは
大きく異なる場合がありますので
誤解のないようにお願いします(;^ω^)
また心とはカタカムナで読み解くと
転がって出たり入ったりを
延々と繰り返す空間となります。
私たちの心の中は
いつもコロコロと
あらゆるものが出ては消え
消えては出てを繰り返していますね?
もうこれで自分の心を
全部感じ切ったということは
まず無いことでしょう。
もしそのように感じたとしても
別の現象を目の当たりにしては
思いがけない感情や思考が
出ては消え…とするわけです。
そして私たちが自分の外側に見る
あらゆる現象は
すべて自分の内側にある心が
まるで鏡の世界を見るように
映し出されているということになります。
あらゆる現象というのは
実は自分の心を知るために
起きているのです。
心の中の無意識ゾーンにあるものが
現象となって現れ
それを観測して
それぞれに感じ
解釈して
自分の心を知るという
流れになっているわけです。
私たちの内側にあるものが
外側に反映されている。
そしてその映り方は実は
一番近くにあるものが
遠くに見えているとも言われています。
私たちが知覚できる
一番遠いものとは
宇宙ではないですか?
カタカムナ数霊で
心と宇宙を読み解くと
ココロの数霊は66
6と6を足して12
1と2を足して3
ウチュウの数霊は102
1と0と2を足して3
このように一ケタになるまで
数字をバラバラにして足して
出た数霊が一緒のものは
本質が同じと言われています。
ちなみに3の意味は光・実体です。
現代を生きる私たちは
このしくみを知らずに
外側に起きてくる現象にばかり
意識が向き
外側に原因と責任を探し
外側に対策を講じます。
これは考えて行うものです。
考えるとは言霊学で言うところの
「神返る」ということになります。
かみがえるがかんがえるとなったわけです。
神に返ろうとするということは
今は神では無いということ。
日という漢字は
神をも表しているのですが
日に返ろうとしたら
眩しすぎて目がくらみます。
つまり真髄が見えません。
起きた事態を何とかしようと
あれやこれやと考えに考えても
なかなか良いアイデアって
浮かんできません。
どうにかひねり出せたとしても
それを講じたところで
大した結果は生まず
たとえしのげたとしても
別な問題が発生するものです。
薬の副作用や病の再発が良い例です。
まるでモグラたたきのようですね(笑)
いろいろなことを挙げて
みきっぺなりに説明して参りましたが
何となくでも
「天地の初発」がどういうことかが
おわかりいただけましたでしょうか?
天地は心(=宇宙)を表し
その始まりのことを
言っているということです。
何かわからない点などあれば
どんなに小さなことでも
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ぜひご質問ください。
一緒に学んでいきましょう。
今回も最後までお読みいただき
ありがとうございました(^▽^)/
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