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言霊学「子音創生」⑨~天の闇戸の神・国の闇戸の神・大戸惑子の神・大戸惑女の神~

聞き手もしくは話し手の

耳から入ってきた言葉が

脳内で処理されていく段階を

今回の記事に登場する神々が

指月の指となる言霊が司っています。

さっそく検証していきましょう。

 

この大山津見おおやまつみの神

野椎のづちの神の二神ふたはしら

山野によりて持ち別けて

生みたまふ神の名は

あめ挟土さつちの神。

次に国の挟土の神。

次に天の挟霧さぎりの神。

次に国の挟霧の神。

次に天の闇戸くらどの神

次に国の闇戸の神

次に大戸惑子おほとまどひこの神

次に大戸惑女おほとまどひめの神

次に生みたまふ神の名は

鳥の石楠船いはくすふねの神

またの名は天の鳥船とりぶねといふ。

次に大宜都比売おほげつひめの神を生みたまひ

次に火の夜芸速男やぎはやをの神を生みたまひき。

またの名は火の炫毘古かがびこの神といひ

またの名は火の迦具土かぐつちの神といふ。

 

天の闇戸の神・国の闇戸の神の

違いは氣・霊の管轄か

言葉・身体機能の管轄かというところ。

 

では闇戸とはどういうことでしょう。

闇の戸ですから暗い入口ですね。

耳孔の中を通り抜ける言葉の音が

蝸牛で電氣信号に変換されたあと

次に蝸牛神経を通って大脳に

伝えられていく段階ということでしょう。

 

天の闇戸の神の言霊はノです。

煮詰める力動父韻のNが

学問的・経験知的次元にかかっています。

 

煮詰めるとムダなものが取り除かれ

凝縮されてその本質だけが残ります。

ですからここでは聞こえてきた言葉の

純粋なる本質を抽出する段階だと

解釈できると思います。

 

カタカムナ解釈でノは

「時間をかける」です。

正直ピンときませんが

ノの数霊で読み解くと

何となくしっくりきます。

 

ノの数霊は20。

「振動そのもの」ということです。

聞こえてきた言葉に対して

自分の経験や知識を使って

自分なりの解釈をせず

その言葉が持つ振動そのものを

受け取ろうとしている段階として捉えれば

意味が通じてきますよね。

 

一方で国の闇戸の神の言霊はネ。

道徳的・政治的意識次元で

煮詰めて凝縮させる働きを持ちます。

 

道徳的な意識というのは

自我から最も離れた意識です。

母音が生まれてきた順番からしても

ウアオエ・イであって

意識次元の両端に位置します。

イはウアオエの各次元意識を支え

操作する意志であって意識ではありません。

 

自分のことだけでなく

周りの人のこと世界のことを

考えられる意識は

もっとも神的な意識です。

 

その意識をさらに煮詰めて

凝縮させたものは

神に直結している繋がりと

考えられます。

 

カタカムナでネは

「充電する・充たす」という意味。

 

人も動物もることで

明日への英氣を養います。

植物はを張ることで

大地から必要な栄養分を吸収しています。

 

ネは余計なものを取り除き

本来の神の意識に私たちを

戻す力を持っているのかもしれません。

神は決してジャッジをすることなく

全てをただそのまま受け入れます。

 

ジャッジをしようとするのは

あくまでも私たちに備わっている

自我の意識が働くからであって

最初に生まれた原初の意識は

ただ自分を知るための主体であり

起きてきた現象(客体)を

どうのこうのとはしないのです。

 

ちなみに音という字もネと読みます。

立つ日で音。

日は神のことです。

神が立つと音が鳴るということ。

 

なぜ日が神なのか。

天之御中主の神が座する

淡道の穂の狭別の島の図像が

表しています。

 

宇宙の中に突如現れた意識

つまりこの宇宙に始めて現れた

神が天之御中主の神でした。

 

音の字は闇という字の

中にも使われています。

 

なぜ門構えに音で

闇と読むのでしょうか。

それは音を聞くには

視覚を必要としないからです。

つまり光を要さないで闇となるわけです。

 

門は左右両開きの戸のこと。

左側・右側の間に光を必要とせずに

闇と読むのですね。

 

ノ・ネは経験知的次元においても

道徳的次元においても

入ってきた言葉の本質そのものを

受け取ろうとしているということだと思います。

 

続いて大戸惑子の神・大戸惑女の神です。

両者の違いは順に言葉の霊を管轄するか

言葉の音を管轄するかというところ。

 

ひとまず純粋な言葉そのものの

霊と音が脳に届いた後で

この言葉の内容を今度は

掻いたり混ぜたりしながら

真偽性などを確かめる段階と取れます。

大いに戸惑いながらなので

大戸惑という字があてられたのですね。

 

大戸惑子の神の言霊はカ。

掻き集める力動父韻Kが

感情次元のアにかかっています。

 

その言葉を受け入れたことで

自分の感情がどのように反応するか

確かめる様子が想像できます。

 

カタカムナの解釈で

カは「チカラ・重力」です。

これは思いの力とも取れます。

人の氣持ちには重さがあるのを

私たちは何となく知っていますよね?

誰かにあまりにも思われたりすると

「重いわ」って言いますし

大して思いや考えが無さそうに

行動している人などを

「軽い人」と言ったりします。

 

この思いというのは

私たちの感情と密につながっています。

なので感情次元を掻いて

どんな思いが湧き起こってくるのかを

確かめているということでしょう。

 

そして大戸惑女の神の言霊はマで

結びつける力動父韻のMが

感情次元のアにかかっています。

 

言霊カで掻き集めた感情を基に

こういうことかと判断する段階だと

解釈できるかと思います。

 

カタカムナにおいてマは

「受容・需要」です。

受容とは受け入れて取り込むこと。

需要は必要とすること。

同じ音の言葉でも

意味としては逆のようですが

これは表裏一体な感じがします。

求め求められといった感じ。

 

私たちが「まあ」という時は

こんなもんだろうと受け入れる時や

相手の氣持ちをなだめたりする時

驚いた時などですね。

とりあえず一応の決着を

つけようという氣持ちの時に

マの音が出るようです。

 

ですからここでも入ってきた言葉を

感情的にとりあえずこんなもんだろうと

一応の決着をつけている段階であると

考えられるのではないでしょうか。

 

今回出てきた四つの言霊

ノネカマを私なりのイメージにすると

こんな感じです。

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正直今回の検証は

表現するのがとても難しく

めちゃくちゃ時間を要しました💦

 

子音創生も残すところ

あと3つです。

何とか頑張って仕上げたいと思います。

 

今回も最後までお読みいただき

ありがとうございました(^▽^)♡

 

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