最初に何かのはずみで生まれた
意識の原初である天之御中主の神(言霊ウ)。
これは何だ?という
自覚の分析が始まりました。
自らを分けるのが自分。
言霊ウからのあらゆる言霊の発生は
まさに己を分析するための
細胞分裂のような働き。
目に見える世界を創り出すための
先天の構造となる十七の神々(言霊)が
前回までの記事で出揃いました。
今記事以降はいよいよ
子生みのくだりに入ってまいります。
古事記は次のように進みます。
ここに天津神諸の命以ちて
二柱の神に詔りたまひて
この漂える国を修理め固め成せと
天の沼矛を賜ひて
言依さしたまひき。
かれ二柱の神
天の浮橋に立たして
その沼矛を指し下ろして画きたまひ
塩こをろこをろに画き鳴らして
引き上げたまひし時に
その矛の末より滴る塩の積りて成れる島は
淤能碁呂島なり。
その島に天降りまして
天の御柱を見立て
八尋殿を見立てたまひき。
この世界の全てを
創り出すための根本となる
十七の神々(十七の言霊)のことを
天津神として表しています。
つまり「天津神諸の命以ちて」は
「十七の言霊が持つ機能つまり
意識と働きを使って」と解釈できます。
私たちは自我(エゴ)という
自分を個として
成り立たせるために特化した意識を
盾にして生きています。
「どんなことに傷つきやすいか」
また「どんなところを強みにしているか」
などというのは人それぞれに経験してきた
その内容によって異なります。
それにより一つの事実を
そのままただの事実として
受け入れるのが得意ではありません。
自分を守ろうとする本能が働いて
自我という盾で屈折させて
受け取るために人それぞれで
解釈が異なってきます。
これが後天を生きる私たちの
特徴であり性質です。
しかし先天の構造というのは
ただそうであるというだけで
とても純粋なものです。
そこには自我の意識というものが無く
ただそのままそのものであるということ。
話を先に進めます。
前回のくだりと今回のくだりとで
変わっている部分があることに
お氣づきになりましたでしょうか。
「…の神」から「…の命」に
変わっています。
カミは言霊学で一文字ずつ読み解けば
カ:力・判断分析力
ミ:愛
つまり力と愛を
バランスよく持ち合わせた存在。
カタカムナにおいては
カ:力
ミ:実体・光
力の実体と取れます。
一方のミコトについてはどうでしょうか。
言霊学の解釈
ミ:愛
コ:子・凝
ト:終わりであり始まり
カタカムナの解釈
ミ:実体・光
コ:転がり入り転がり出る
ト:統合
私みきっぺの感覚的センスを
研ぎ澄ませて解釈すれば
愛の結晶として
この世に生まれ出たり
死んであの世に行(入)ったりをくり返し
酸いも甘いも嚙み分けて
「自分とは」「この宇宙とは」を
理解していく存在
といった感じでしょうか。
ちなみに「古事記と言霊」には
神と命の違いを
仏と菩薩の違いに例えています。
神はこの宇宙のしくみそのものであって
命とはそれを知ろうとするものであり
それを使ってまだ知らぬ人に説き
皆で良い世界を創っていこうとする
存在であるということ。
宇宙のしくみの実行者と言えると思います。
「詔りたまひて」とは
そのまま受け取れば
「命令をして」となりますが
音だけを取ればミコトとノリ
ノは言霊学では言霊宣り治る
リは進化を表し
言霊を言うことでより良くし
進化させると取れます。
つまり「詔り」は
宇宙の原理(=言霊の原理)を
うまく活用してさらに進化していく
ということを指していると言えます。
古事記の赤い字で表記した部分は
そのままの意味で受け取れば
「先にあらわれ出た神々が
解釈してしまいがちですが
ここは本来は
創造意志の主体である言霊イと
客体である言霊ヰが実行者となり
先天の構造である十七の言霊の
意識とその働きを活用する
ということの謎かけなのです。
どうしてわざわざ
謎かけをする必要があったのかは
こちらの記事で説明していますので
確認していただけたらと思います。
これまでの記事をお読みになった方は
こじつけのように思われるかもしれませんが
謎かけであるからだと思えば
こじつけであることにも
納得していただけるのではないかと思います。
今回は以上になります。
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最後までお読みいただき
ありがとうございました(^▽^)♡
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