言霊学による古事記読み解きは
5回目にしてやっと
神の名前が登場します(;^ω^)
言霊学が解釈する神名とは
指月の月と言われています。
指月の月とは
「あれが月だよ」と示す
指のことを
言うわけですが
指している方向にある
月そのものを見ずに
示している指だけを見ていて
分かったつもりになっている
というようなことを表しています。
つまり私たちは
神やその名にばかりとらわれていて
その神が示す内容を
しっかりと捉えることが
できていないということなんですね。
どういうこと?
とお思いになるかもしれませんが
このシリーズを
読み進めていくうちに
「そういうことか!」と
わかってくることと思います。
それでは今回も
さっそく始めていきましょう。
古事記の冒頭はまず
このように始まります。
天地の初発(あめつちのはじめ)の時、
高天の原(たかまのはら)に
成りませる神の名は、
天の御中主の神(あめのみなかぬしのかみ)。
次に高御産巣日の神(たかみむすびのかみ)。
次に神産巣日の神(かみむすびのかみ)。
この三柱(みはしら)の神は
独神(ひとりがみ)に成りまして、
身を隠したまひき。
無から有が生まれたその瞬間
そこにはある意識が生まれました。
それが天の御中主の神です。
これは「ウ」という言霊意識が
生まれた瞬間を表します。
ある一つの意識が
生まれた瞬間に
その意識が存在する空間と
場が生まれ
「今」というものが
同時に発生しました。
世界とは見る者がいて
初めて成り立つわけで
誰も見ていなければ
その世界があるかどうかは
誰も証明することができません。
これは量子力学の
二重スリットの実験でも
説明されています。
この世界を認識する意識が
生まれた瞬間を
「ウ」という言霊が表します。
あなたは朝に目を覚まし
布団の中で伸びをする時に
まずどんな声を出しますか?
「ウーーー」って言いませんか?
これがまさに
意識が生まれるときの音なのです。
それを私たちは
まったくもって無意識に
発しているわけです。
面白くないですか?
つまり私たちは毎朝
生まれているということになります。
言霊「ウ」の感覚は
私たちの体感覚的に
わかりやすく説明すると
目が覚めたばかりで
まだ頭が働かず
ボーっとして
まどろんでいるような状態。
何かを思考もしていなければ
活動もしていないけれど
とにかく意識としてはある。
そんな感じを
天の御中主の神が
その名前で示しているのです。
ちなみに古事記の元となったと
考えられているカタカムナウタヒでも
最初に現れる神の名が
アマノミナカヌシとなっています。
厳密には「メ」と「マ」の
違いがありますが
これについては
また別の機会に預けようと思います。
突然ですが
あなたが見る世界は
何が中心になっていますか?
ここを勘違いさせられている人も
たまにいたりしますが
自分が見ている世界の中心は
いつだって自分になりますよね?
自分の世界を認識する
自分の意識というものが無ければ
自分の世界も存在しません。
あなたの意識の発端は
どこにありますか?
と質問されたとして
あなたはそれに答えることが
できますか?
自分の意識って
一体どこから始まって
どこで終わるのでしょうか?
死んだ後も続くのかどうかは
死んだことが無ければわかりません。
生まれてから物心がつくまでの
記憶は無くても
意識があったのは
言うまでもありません。
…ということは
生まれてくる前には
意識が無かったと
断言することもできません。
生まれてきてからだって無いのだから(笑)
このことは
意識とは自覚しているものが
すべてではないということを
教えてくれています。
これを言霊学では
「先天の世界/構造」と呼びます。
俗に言う無意識ですね。
潜在意識や集合意識と
捉えることもできます。
それはどこから始まって
どこで終わるのか
全く見当もつかないほど
途方も無いものです。
これは宇宙がどこまで
続いているかが
わからないのと同様です。
無限であることが
限界となってしまうのですね。
そうならば
今確実にあると自覚ができている
「中今(なかいま)」
つまり今ここに立ち返ればいい。
今ここだけが
すべてを創り出す可能性を持ち
過去も未来も
変える力さえも持っている。
今の在り方次第で
過去も未来も
闇にも光にもなり得るのです。
だから私たちは常に
今ここの自分の在り方を
調えればいいだけなのです。
天の御中主の神
天の真ん中にある主とは
つまりすべての意識の中心であり
自分自身だということであり
無意識というレベルにまでさかのぼった
自分の意識の根源になるわけです。
自分が認識する世界の
主人公は誰ですか?
誰のために生きていますか?
どうして今ここで
自分は自分を自覚して
自分として生きているのか
いつそうしようと決めたのか
今の自分には
到底思い出せないけれど
すべてには
誰かしら何かしらの
意志があって
現象化しているわけで
かけがえのない自分が
ただ何となく
自然発生したわけではないのです。
「どこから始まったのかわからない」
でも確実にある今ここ。
私たちの自覚している意識は
自覚できないところに繋がっていて
その大元にあるのが
言霊「ウ」の意識であり
それを指し示す指月の指が
天の御中主の神ということです。
天の御中主の神は
自分の意識の根源であって
それを自覚することで
本当の意味で理解したと言えるのであり
自分以外の存在として
崇め奉って拝んでいるうちは
月を見ずに指を見ているのと
同様でいかにも愚かしいことだと
いうことになるわけです。
「拝む」は「愚がむ」であり
私たちは自分の内側の
奥深いところにある
天の御中主の神の意識を
自覚して意識的に生きることを
求められているのです。
このことを
「斎きたてる」と言います。
いつきたてるとは
五つの氣を立てること。
母音も五つありますね(*´艸`*)
今回はその母音のうちの
意識が生まれた瞬間である
言霊「ウ」について
みきっぺなりに解説して参りましたが
いかがだったでしょうか?
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一緒に学んでいきましょう。
今回も最後までお読みいただき
ありがとうございました(^▽^)♡
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