人生に行き詰ったら読むblog♪

氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

欲しいと思ったらまずやるべきこと

どんなに良いことしてあげても

ありがとうでもなければ

嬉しそうでもない。

 

あなたなら

そんな相手に

それでも尚

これまでどおり

もしくはそれ以上に

良くしてあげたいと思いますか?

 

よっぽど奇特な人でない限り

そうは思わないのじゃないかと

私あたりは思ってしまいます(笑)

 

でも私たちって

自分のことってよく見えていなくて

👆の場合の感謝のかけらも

無いようなことを

ついついやってしまいがちなのです💦

 

私たちの意識って

どういうわけだか「無いもの」や

「失われていくもの」に

向きがちだと思いませんか?

 

お金

時間

体力

美しさ

若々しさ

健康などなど

あなたはこの辺のこと

氣になりませんか?

 

持っていないものや

失われていくものに

意識が向く時って

良い氣分ではないですよね?

 

この良い氣分じゃないというのは

本来の自分じゃないというサインです。

 

では既に持っているものに

意識を当ててみたら

氣分ってどのように変わるでしょうか?

 

今持っているものが

もし無かったとしたら?

って考えてみると

わかりやすいと思います。

 

私はつい先日

二日続けて二人の知人の

訃報を聞きました。

 

そのうちの一人は

かつての同僚であり先輩です。

もうどんなに願っても

肉体を持つ彼女に

会うことも触れることも

叶いません。

 

肉体の中に魂を宿し

今を生きている私たち。

この自分の肉体を

感じて触れてってできるのって

当たり前すぎることだけど

生きている今だけじゃないですか?

 

すごくかけがえのないものだと

思いませんか?

 

自分となってくれている肉体。

髪の毛とか爪とかもう全部!

一体化しすぎて

自分のもの!って

思ってしまっているけれど

本当に自分のものならば

思いどおりにできるはずなのに

なかなかそうはいきません。

 

私たちは自分のエゴだけで

生きているわけじゃないんですよね。

 

いろんな意識が共鳴して

機能し合って

目に見える物質となって

今ここに生きているわけです。

 

「当たり前」と思うと

感謝の氣持ちは湧いてきません。

 

でもすべてが奇跡だと

感じられたとしたらどうでしょうか?

自分の体に対して

私になってくれてありがとう。

私と一緒に生きてくれてありがとう。

 

また家族や同僚や友人に対しても

私と一緒に生きてくれてありがとうって

思えるようになった時

自分って心から幸せだと感じるはずです。

 

通りすがりの人にだって

感謝できるようになったらどうでしょう。

 

こちらの記事にも書きましたが

charlotte102.hatenablog.com


自分以外の人を見て

私たちは自分というものを

知っていくのです。

 

だから自分以外の人という

存在が無かったら

私たちは自分を知ることもできないわけです。

 

何かを欲しいと思うことは

良いことです。

欲は良くするためにあるからです。

 

でも無いという苦しみから欲すると

苦しみが起点となっているので

それに伴う結果が現象化してしまいます。

 

今ここにあるという奇跡に感謝して

幸せが起点となって

さらに良くするためとなると

自分の中にある神意識と力が

無駄なく発揮できるので

幸せに伴う結果を得られるのです。

 

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欲しいと思った時には

今既に持っているものに

まず感謝ができているかを

セルフチェックします。

 

お小遣いをあげて

笑顔で喜ぶ子なら

またあげたいと思いますよね?

 

これと同じです。

 

喜べばさらなる喜びが

苦しめばさらなる苦しみが

返ってくるだけ。

 

ただこの場合の苦しみは苦しみでも

その中に没頭して

どうしてこんなに苦しいんだ!と

誰かや何かのせいに

してしまっている場合をいいます。

 

同じ苦しみでも

これから良くなるためのものであれば

人って頑張れますよね?

 

欲しがることは良いこと。

大事なのは無いから

足りないから欲しいのか

それとももっと良くするためなのか?

 

つまり今に感謝していることが

前提となっているかどうか。

ここをしっかり見定めることが

肝心なのです。

 

そしてもう一つ大事なこと。

それはそれにふさわしい自分になることです。

 

宝くじで大金を得た人が

その後にとんでもない不幸に見舞われる

なんて話をよく聞いたりしますが

あれはその人の持つ器に

合っていないから起こることなのです。

 

類は友を呼ぶのです。

 

だから欲しいものに対して

今の自分がそれに見合っているかどうか

これもチェックして

自分を合わせていくことが必要です。

 

自分の器量を拡げていく。

 

カチンとくるのは

自分の器の端っこに当たるからと

かつて陰陽師の末裔の幸輝先生から

教えてもらったことがあります。

 

ではどうやって広げたらいいのか。

 

それは器の狭い自分を

ただ認めて許すこと。

間違っても否定してはいけません。

 

カチンと来た時に

「こんなことくらいでカチンときて

 自分って本当にダメだわ」って

思ってしまったら苦しくないですか?

 

苦しいということは

違うということ。

 

では反対に

「自分の器の大きさを

 教えてくれてありがとう」と

思えたらどういう氣分になりますか?

 

氣持ちが軽くなったり

良い氣分になるのは

「ハイ、それ正解♪」ってことです。

 

イヤな自分や

許せない自分を認めて許していくと

どんどん器量が大きくなっていき

自分自身とのつながりが

太くなっていって

インスピレーションも

得られやすくなります。

 

あなたが欲しいものは

あなたを幸せにします。

幸せなあなたは

周りにも幸せの波動を放つので

周りの人も幸せになります。

 

自分の人生の中心は自分。

中心にある自分が幸せを

波及させていったら

人生はどのように展開していくでしょうか?

 

今回も最後までお読みいただき

ありがとうございました(^▽^)♡

 

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