
~カタカムナとは~
カタカムナは、1949年に科学者の楢崎皐月氏が兵庫県六甲山系金鳥山付近で出会った、平十字(ひらとうじ)という猟師風の男性から見せてもらったカタカムナ神社のご神体とされる巻物に記されていた図象です。
楢崎氏は戦前、満州で出会った老子教の寺の住職から、古代の日本ではアシア族という民族がとても高度な文明を築いており、八鏡文字という不思議な文字を使っていたと聞いたそうです。そのため、この巻物を見たときに、これがその八鏡文字なのではないかと考えた楢崎氏が、平十字氏に願い出て書写させてもらったのが、カタカムナ文献となります。
大小の円や直線でかたどられた記号のようなものは、楢崎氏の長年にわたる研究により、文字として解読され、カタカムナ文字と言われるようになりました。カタカムナ文献には、一つ一つの文字が渦を巻くように描かれているものが80種類あり、最初の一つを読んでみると「カタカムナヒヒキマノスへシアシアトウアンウツシマツルカタカムナウタヒ」と書かれているため、これらが一種の歌であることがわかったそうです。また五七調で読み取れるものが多いことから、短歌や俳句の元になったとも考えられているようです。
平十字氏によると、アシア族というのはカタカムナ人のことであり、このアシア族の最後の長がトウアンという名前だったそうです。前述したウタヒの中には、アシアトウアンウツシマツルとあるので、アシア族の長であるトウアンがこのウタヒを書き写したと読み取ることができます。ただし、縄文時代の遺跡などからは、このカタカムナ文字が見つかっていないため、アシア族が存在していたのは、それ以前の時代のことと考えられます。
カタカムナウタヒをそのままここに掲載することはできないようですので、私の名前をカタカムナ文字で書いてみるとこんな感じになります。

カタカムナ文字に濁点・半濁点はありませんので、みきっぺはこうなります。
カタカムナという言葉自体が片仮名を連想させますし、実際に見てみると、ツ以外は、このカタカムナ文字がもとになって片仮名は作られたんだろうなと感じます。カタカムナ文献にある文字の種類は48種類であり、ウタヒの第5首と第6首には、この48種類の文字が被ることなく(第6首の終わりのカタカムナを除いて)出てきます。そして、この文字一つ一つが持つ意味を吉野信子氏が解読され、思念表というものが作られましたので、興味がある方はぜひ調べてみてください。
~古事記とは~
古事記は、第四十代天皇の天武天皇の命により、下級官人であった語りべの稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦した天皇や国家に関する歴史を、第四十三代元明天皇の命を受けて712年に太安万侶が書き起こし、編纂されたものであり、この当時の日本にはまだ片仮名も平仮名も存在しなかったため、すべては漢字で書き記されました。すべて漢字というと漢文を想像してしまいますが、そうではなく、あくまでも「音」と意味を重視して選ばれた漢字によって書かれているのです。
カタカムナ文字の読みを解読された楢崎氏が、この読み方で間違いないと確信したのは、実はウタヒには、古事記の中に出てくる神名が多数あり、しかも出てくる順番まで、ほぼ同じであったからだそうです。そこで、古事記に出てくる語で、カタカムナウタヒにも出てくるものを、私がChatGPTにリストアップしてもらったところ、何と74個の共通語が見つかりました。これがただの偶然と言えるでしょうか?
~言霊学とは~
言霊学は、明治天皇と昭憲皇后のお二人と、皇后の書道の師であった山腰弘道氏によって始まります。皇后の嫁入り道具の中に「三十一文字の和歌の道」という本があり、そこには言霊の学びの要点が書かれていたそうです。それがきっかけとなり、宮中の賢所にある古事記や言霊の原理に関する資料をもとに古事記と言霊の研究が始まったのです。後に明治天皇の崩御とともに明治は終わりますが、なぜかこの研究は大正天皇に引き継がれることはなく、山腰氏により民間へと流出したそうです。
私たちは心に何かしらの刺激を受けると、自然に声を発することがあります。例えば、何かを選ぼうとするときに「えー」と言ってみたり、なるほどと感じたときに「おー」という声が出たりします。体や心が苦しいとき、朝目覚めるときには「うー」と出たり、感覚的に響くと「あー」という声が出たりします。なぜ、そのように発声するのかを考えたことはあまりないかもしれませんが、実は言霊というのは、心を構成する要素であり、つまり意識そのものなのです。その数は五十音と言われる通り、基本となる言霊の数は50あります。
別記事で追って解説していくつもりですが、ちなみに言霊がなってきた順番としては「ウ」で始まり、「ン」で終わります。私たちは何かを了承したときに「ウン」と言うのは、最初から最後までわかった、了承したということが自然に言霊となって発声されるのではないかと氣づいたときに、「なるほどそういうことか」と腑に落ちた感覚がありました。
~カタカムナ・古事記・言霊学に共通するもの~
私たちの意識と発する言霊との関連性を暗に示しているのが古事記であり、それを読み解くのが言霊学なのです。古事記に出てくる神の名は、おそらく語り継ぐことで伝えられたのであろうカタカムナの内容が、まだ仮名文字が無かった時代に意味だけでなく、その音を忠実に伝えるため、漢字を駆使して書かれたのだと思います。そして神の名というのは言霊の特性、つまり意識の特性を表しているのであり、拝んだり縋ったりするものではないのです。これを「古事記と言霊」の著者である島田正路先生は、「指月の指」と表現されています。あの月を見てごらんと指している指だけを見て、肝心な月を見ていないという意味です。つまり、私たちは神の名前そのものに意識が向かい、神の名が表したいそのものを見ていないということです。
~最後に~
言霊学に関する前記事にも書きましたが、神とは意識であり、意識はすべての人の中にあるものです。ですから、一人一人がその意識の特性や働きを知り、使いこなしていくという自覚を持つことが、これからの時代に求められているのだと思います。そしてこれこそが、アセンションするということなのではないでしょうか。