言葉を話す生態を
私は人間以外に知りません。
動物や植物にも意識があり
何かしらでそれを伝えることは
もしかしたらあるのかもしれませんが
私たちのように発声することはなく
言葉によってコミュニケーションを取るのは
やはり人間だけですよね。
もしも宇宙人は?となったら
言葉による会話ではなく
もはやテレパシーを
使うんじゃないのかと(笑)
言葉の元となる言霊は
その使い手である私たち人間の性能。
自分の性能を知らずして
どうしてうまく生きられるでしょうか?
今回も古事記本文の読み解きを進めます。
既に国を生み竟へて
さらに神を生みたまひき。
かれ生みたまふ神の名は
大事忍男の神。
次に石土毘古の神を生みたまひ
次に石巣比売の神を生みたまひ
次に大戸日別の神を生みたまひ
次に天の吹男の神を生みたまひ
次に大屋毘古の神を生みたまひ
次に風津木別の忍男の神を生みたまひ
次に海の神名は大綿津見の神を生みたまひ
次に水戸の神名は速秋津日子の神
次に妹速秋津比売の神を生みたまふ。
今回検証する神名と言霊は三つあります。
まず最初の大綿津見の神ですが
神名の前に「海の神名は」とあります。
海は古代日本において
「わた」もしくは「わだ」と
言われていたそうです。
言霊学を学ぶにあたって
海と言うと何のことでしょうか?
言葉を発するのに必要な
海のような場所というのは
口腔のことです。
言霊タがトとヨの機能を持って生まれ
言霊ツとテがトとヨを運用し始めたら
言霊ヤとユが心象としてより具体化し
それが今度は言葉を発するための
器官である口腔に流れ着くわけです。
大綿津見の神の言霊はエです。
ただしエはエでもこれはヤ行のエで
分解するとYとエです。
Yは維持・繁栄でエは実践智。
道徳的であり政治的な意識
つまり自我を捨てた
大我の意識を維持し
さらに繫栄していこうという
意識と働きを持つ言霊です。
神名の方でも検証してみましょう。
どうしてワタがウミになったのかは
よくわかりませんが調べてみると
綿をサンスクリット語では
badara/vadaraといい
これは「水」という意味も持つそうで
海に通じているようにも思えます。
また英語で水はwaterですよね。
古代の日本でワタと呼んでいたのが
西に行くにしたがって
言霊の原理が薄れて
変化していったからとも取れます。
ワはあなたであり客体
タは吾として行動し始める力動です。
私という主体がいなければ
あなたという客体は存在し得ません。
見る者がいなければ
それは無いも同然だからです。
カタカムナで読み解くと
ワは調和でタは分かれる。
一つに調和していたものが
分かれて私とあなたが生まれる。
つまりワンネスの意識から分離して
私と私以外の客体現象に
分かれると言った感じですね。
一方ウミはどうでしょうか。
ウは原初の意識
ミは創造意志の結実。
ミが付く漢字には水もありますね。
カタカムナではどうでしょうか。
ウは生まれ出るもの
ミは実体・光です。
生まれ出るものの実体がウミです。
私が過去に氣づいたワンネスの解釈に
人の一生というのは
波しぶきのようなものというのがありました。
大きな大きな水の塊から
波しぶきの一粒となって一人の人が生まれ
魂の役割と目標を果たした結果
その個である一粒は
大いなる一つの海に戻っていくのだと。
私という主体であり
個の意識が生まれなければ
どんな世界も存在し得ません。
もしもどこかに閉じ込められて
そこが何も見えない何も聞こえない
場所だとしたら
本当に外の世界があるかどうかは
途端にわからなくなってしまいます。
綿と海の関係性を調べてみましたが
これだ!というはっきりした答えは
見つけられませんでした。
でも何となく奥深いところにある
本質的な意味合いに繫がりがあるのが
垣間見えたような氣がします。
古事記の内容に戻りましょう(^▽^;)
ここでの綿は口腔を意味しているので
口腔に渡して(津)明らかにする(見)ということ。
言霊ユで息と氣に分かれて
湧き出てきたものが川となり
やがて海に出て行くような様子を表し
それがわかりやすい漢字として
江があります。
つづいて今度は水戸の神とあります。
これはその読み・意味のままで
港を表しています。
ここには妹背(男女一対)の神々が
出てきました。
これは作用反作用を表すのでしたね。
まずは速秋津日子の神。
言霊はケです。
ケを分解するとKとエ。
掻き集める力動と実践智が
掛け合わさった言霊です。
この世の中をもっと良くするためと
必要なエネルギーを搔き集める
意識と働きを持ちます。
ふと湧き上がってきた思いを
速やかに明らか(秋)にして
口腔という海の中の
港(発語器官)に渡すために
霊(氣)として実行する力動です。
どうしてここで秋という字が使われたのか
ちょっと考えてみました。
秋と言えば実りの秋・収穫期ですよね。
言葉として組み立てられる前段階も
その時に達したという意味が
込められているのかもしれません。
速秋津日子の反作用が妹速秋津比売で
言霊はメになります。
分解するとMとエです。
実践智の結実ということ。
思いの種が芽となるわけです。
カタカムナにおいてメは
指向・思考・芽です。
どれがいいかと選んで決めて
こちらに向かうと方向性や目標が
定まる段階と捉えられますね。
神名ではどうでしょうか?
日子が比売になっただけです。
ヒメは秘めるですから
実行は始まったもののまだそれは
表現されておらず
秘められた状態と取れます。
子音創生①から今記事の
古事記のくだりに出てきた神々が
納まる島の名前が津島であり
またの名を天の挟手依比売というのでした。
言霊タトヨツテヤユエケメの
十言霊の機能をご理解いただいたところで
改めてこの島の名前と神名を考えますと
また理解が深まるかと思います。
集合意識・潜在意識という先天の世界から
後天世界(自覚)へとつなぐ道ができ
思いの種がそこを通って
言葉となって発せられる直前までの段階
つまり思いが渡されてくる島(区分)で
津島なわけです。
先天から後天へと
つなぐための狭い経路を通り
手探りしながら選り分けていくものの
まだ芽が出ただけの段階で
言葉となる可能性を秘めた状態で
天の挟手依比売となるわけです。
今回の記事のイメージを
私なりに作ってみました(;^ω^)
今回も最後までお読みいただき
ありがとうございました(^▽^)♡
みきっぺが読んだこの記事に関連する本