人生に行き詰ったら読むblog♪

氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

本当の自分との差を取れば悟る

私たちに

本音と建前という

異なる意識が

芽生え始めるのって

いつ頃からなんですかね。

 

生まれてきたばかりの

赤ちゃん時代には

絶対無かっただろうと

私は思うのですが

みなさんはいかがでしょうか?

 

物心がつく頃

家族や友達との関りにおいて

ガマンを強いられるようになってから

意識が本音と建前に分離し

その二つの意識の距離が

どんどん

空いていくようになったのかな

…と私は推測します。

 

 

本当にやりたいことが

許されず

認められず

そして

その数は次第に増えていき

自分がやりたいことは

だいたいいつもガマンか後回し。

 

やりたいことだけじゃ生きていけない!

 

というある種の

神話のようなものに

本音の自分は

どんどん影をひそめてしまいます。

 

この世界で

生きるためには

働いてお金を稼ぐのが当たり前。

 

結婚して

家や車などを購入して

子供を育てあげ

孫の面倒を見て

その一生を終えていく。

 

かつての私は

それが幸せな

人生の型なのだと

思っていました。

 

ところがそれに逆らうように

私の人生は進んで行きます。

 

高校生活で

就職活動は一切せずに

卒業後は当時付き合っていた

彼氏と同棲し

学生の時からバイトしていた

コンビニでそのままアルバイト生活。

 

その後

いろんな仕事を転々としました。

地元の北海道を出て

数年関西で働いたこともあります。

 

戻ってきて

「これならできるかな?

 小さい時に憧れてたし…」

っていうので選んだスーパーのレジの仕事。

 

このスーパーで出会った男性と

結婚し二人の息子を出産。

 

共働きで子供を育てていましたが

息子たちが小学校に入った頃に離婚。

 

そこからシングルマザーとしての

生活が始まりました。

 

仕事しながらの家事・子育ては

このご時世

かなり多くの人が強いられていて

私だけが大変だったという思いは

これっぽっちも無く

何なら

それが普通だとも思っていました。

 

こうなると

やらなくてはいけないことが

目の前にありすぎて

自分のやりたいことは

1日の最後まで後回し。

 

この頃の私の楽しみは

息子たちが眠りについてからで

ゲームwith晩酌くらいのものでした。

 

疲れすぎていて

この楽しみの時間を持たずに

眠ってしまった翌朝は

損した氣分になったのを

今でも時々思い出します(^▽^;)

 

そんな生活を

7年ほど過ごしたころ

この先にどんな生きがいや

楽しみが待っているだろうと

ふと思った時に

どんどん老いて

失われていく若さや体力

能力などに意識が行き

お先真っ暗な感覚に襲われました。

 

私は一体

何のために生まれて来たのかな?

 

だからと言って

何がやりたいわけでもなく

どうするべきかもわからず…。

 

後から知ったことですが

自分のやりたいことを

後回し後回しってやっていくと

何がやりたいかさえ考えなくなり

本音の自分と繋がりにくくなるんですよね。

 

建前の意識主体で生きていた結果です。

 

そうしてある1冊の本に出会います。

 

この本が決定的になり

自分の人生に対する

責任感が芽生え

自分が今

何を望んでいるかに

意識が向くようになっていきました。

 

何が食べたいかとか

何が見たいかとか

最初は本当にそんなカンジ。

 

で、何かを欲した時には

できる限り早く

それを実現するようにしました。

 

この頃に時間の許す限り

観ていたのは

塔の上のラプンツェル」でした(笑)

 

レンタルして返却しては

「もう一度お願いします」と

そのまま再びレンタル。

もう買った方が早いのに

お金に苦手意識があった私は

その手段を選べませんでした(^_^;)

 

ものすごくときめくんですよねぇ。

ラプンツェルとフリン・ライダーの関係。

当時43歳くらいだった私が

何とも言えない恋愛体験を

レンタルDVDで体感していたのです。

 

このときめきに浸っている

私が発していた振動数が

今の夫との出会いを

現実に引き寄せてくれたんだろうな

と本氣で思っています。

 

こんな感じで

やりたいことを

無理のない範囲で

できる限り

実行していくことによって

私の人生は充実し始めます。

 

もっともっともっと

良い人生にしたい!

と次第に思うようになり

すると

いろんなことに

興味関心が湧き始めました。

 

ここで大事なのは

「今が不満だから良くなりたい」

なのではなく

「今も最高だけどもっと」

という感覚でした。

これって欲張りなのではなく

向上心ってやつです。

 

私の幸福を追求したら

それは世界中の人すべてが

幸福を感じていることだと

氣づいた時に

何とも言えないほど

清々しい氣分になりました。

 

そしてこれは何も

私に限ったことではないのです。

 

すべての人から出てくる

願いや欲求の

根底にあるのは

世界の平和を望む心なのです。

 

斎藤一人さんのお話の中で

「欲は良くするためにある」

というのがあります。

 

強欲であるがゆえに

不幸な現実を

生み出したということも

もちろん否めませんが

適度な欲があったからこそ

文明は発展し

便利な世の中になったわけです。

 

欲が無くなった時

そこで成長は止まります。

 

ほんの少しからでも

自分の本音に

耳を傾け始めると

自分の中にいる

もう一人の自分が

喜んで反応し始めます。

 

氣づくことが多くなったり

インスピレーションを

得やすくなったりします。

 

現実対応に忙しいと

良いアイデア

ひらめいたとしても

無視したり

排除したりしがちです。

忙しいは「くす」です。

 

そのうちに

考えても考えても

良いアイデアが浮かばないΣ(゚д゚lll)ガーン

なんてことになっていきます。

 

良い方法ってだいたい

考えれば考えるほど

出てきてくれません。

 

そうではなくて

良い結果を想像すると

ひらめくのです。

 

考えるは神返る。

つまりその時点で

事物を創造する

神の次元から離れているということ。

 

思うは田の心。

田は私たちの生きる糧を

生み出してくれるところ。

 

「思う」で心が生み出される。

 

創造者つまり神の意識次元に立てば

自ずと答えやヒントが

どこからともなくもたらされるのです。

 

「今何したい?」

って時々

自分に訊ねてみてください。

 

やりたいことをやることに

罪悪感を感じてしまう場合は

そんな自分を許すところから

始めてみましょう。

 

日常で無視され続けた本音の自分が

「聞いてくれるの?」って

喜んで出てきてくれるようになります。

 

また常識にとらわれず

自分の感覚を信じるというのも

距離を縮める良い方法。

 

選択や判断を誰かや何かに

求めるのではなく

自分の感覚で決める。

 

慣れてくると

これが自信に変わっていきます。

 

そして

何かに氣づいて

難を逃れられたり

インスピレーションを

受け取ったりしたときには

「ありがとう」と

お礼を言ってみましょう。

 

自分の中にいる

本音の自分と

どんどん対話し

仲良くなっていくと

本音の自分と

建前の自分との摩擦が減り

距離が縮まって

その差が取れた時に

悟りの境地にたどり着けるはずです。

 

 

何か問題や障害が立ちはだかっても

それがどうして起きたのかが

本当の意味で理解できたり

乗り越えた先の自分の成長に

思いを馳せることができるようになります。

 

こうなると

人生がどんどん

スムーズに展開していくのです。

ぜひこの生涯において

それを体験してみてくださいね。