人生に行き詰ったら読むblog♪

氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

必要なことしか起こらない

昨日の不思議な感覚から一転、

今朝はブルーな氣持ちで目覚めたみきっぺです(;´∀`)

それは朝方の夢で先日観た映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の

高寿と愛美の運命の切なさを憂いていたからだと思います。

昨日はあんなに晴れ晴れとした、しかも今までに味わったことのない、

自分でありながら自分じゃないような、

生まれ変わったような感覚になったのに…またこうかよ!みたいな目覚めでした(-_-;)

しかしこれにもちゃんと意味があったのでございますよ、みなさま。

 

 

氣づきはいつも突然に(笑)

冒頭にも書いたように今朝は本当にメンタル的に不調でした。

どんなにメンタルが不調でも、

朝はきちんと目が覚め、息子の弁当を作り、

ふたりとも学校に送り届けることができる体力と

愛車があることに心から感謝できるようになるまで約2時間(^▽^;)

以前にも記事に書いたことがありますが、

私はだいたい風呂場か台所で氣づきを授かります。

今朝もそうでした。

自分を励ます(氣持ちを上げようとする)アファメーションを唱えながら、

シャワーでカラダを清めていました。

私はいま正直、金銭的に不安を感じているので、

それに対するアファメーションをしていたわけです。

昨日もそのアファメーションを始めた直後にすごく不思議な感覚になったのです。

それはQEPの高橋先生に教わった、

「私は無限に豊かである」というアファメーション。

昨日の経験を活かし、同じアファメーションを唱えるのですが、

昨日と同じどころか、まったく何も心境的に変わってこない。

ん~、昨日のは幻だったのか?

そんなふうに思えてきて、言葉を変えてみました。

次は気功家の清水義久先生が教えてくれた、

「これからきっとうまくいく」です。

これをずっと言っているうちに、

急に「ん?」「はっ!」とやってきました。

それは「私は無限に豊かである」の

「私」を「和多志」に変えることでした。

※和多志に関してはこれらの記事をご覧ください。 

www.charlotte102-blog.net

www.charlotte102-blog.net

ただ音的にはいっしょなので、あえて私を「私たち」に変えてみたんですね。

「私たちは無限に豊かです」

すると私の中の何かが喜び始めました。

「うんうん、それそれ。それを言ってほしかったんだよね!」

…って言っているみたいに(^▽^;)

 

 

 

氣づきがくると晴れる心

これがいつも不思議に思うのですが、

氣づくことさえできると心はいつも晴れやかになるのです。

現状はさっきと何も変わっちゃいないのに。

ってことは、いったい何なの?

すると答えは案外カンタンに返ってきました。

どんなにどんよりした氣持ちにも意味がある。

どんよりした氣持ちになったときに、

そのままでいようとは思わない。

そうするといろんなことを考えたり、

いままで知りえたあらゆる方法を試してみる。

そしてそうこうしているうちにふと氣づきを得ることができる。

つまり心が曇るということは、

晴れやかにする別の手段を授けるから、

しっかり受け取りなさい。

…ということなのだと私はそう受け取りました。

振り返ってみると、

私はこれまでネガティブになるたびに、

いろんな方法を試し、

そこで得られた結果や氣づきをブログの記事にしているわけです。

その回数が増えれば増えるほどに、

バリエーションが豊かになり、

こういう人にはこういうパターンとか、

こういう時にはこういうパターンという方法をシェアできているわけです。

それはその時、その人に合ったものはうまい具合に引き寄せられるので、

私はネット上に散りばめておけばいいわけです。

どんなことも数をこなせばこなすほど、

それだけ多くの経験や氣づきを得ていることになります。

もしこれが1回で終わってしまっていたら、

ひとつの方法や手段しか知らないということになりますもんね。

 

ゆえに必要なことしか起こらない

前項のように考えていくと、

見出しに書いた言葉がまた氣づきとして得られました。

必要なことしか起こらない…つまり不要なことは起きないということです。

もしもいま、財布に入っているお金が百円玉一枚だったとしたら、

百円玉一枚という状況から何に氣づくべきなのかというように考えます。

もしもいま、腹を割って話せる友達が一人もいないんだとしたら、

友達が一人もいない状況から何に氣づくべきなのかを考えるのです。

もしもいま、重病に直面しているのだとしたら、

この症状が何に氣づけと言っているのかを考えるのです。

それが自分のいまの持ち札であり、

ここから勝ち上がる方法は必ず用意されていて、

その方法を見つけることこそが氣づきを得るということなのだと思うのです。

氣づく方法や手段は人それぞれかと思いますが、

ヒントになるのは感情だと思います。

その感情を得るために起きていることだと考えるのです。

感情を味わうということは、

同じ感情を持つ人の氣持ちを分かり合えるということになります。

転んでけがをした痛みは、

転んでけがをした者にしかわかりません。

同じ目線に立つことができる人こそ、

人の氣持ちがわかり共鳴できるわけですよね。

そしてさらにそこから勝ち上がる方法を知っていたとしたら…

人を助けることができる人になるわけです。

 

苦労は裏を返せば幸せになる

何にも苦労することなくやっとの思いである地点までたどり着いた人。

何も苦労すること無しにとんとん拍子で同じ地点までたどり着いた人。

できれば苦労はしたくないけど、

とんとん拍子で行けた人には苦労している人を助けることができません。

つまり苦労した分、あらゆる方法を知っているし、

いま苦労している人を助けることもできるわけです。

苦労はオセロの黒と同じです。

裏を返せば白になる、幸せのタネだということができると思います。

苦労をたくさん持っている人は、

幸せのタネをたくさん持っている人。

「苦労は買ってでもしろ」の意味がよくわかりますね。

ただあくまでもタネですから、

ちゃんと目を出す必要があるわけです。

苦労を苦労のままにしておくというのは、

タネをまかずに置いておくのと一緒です。

タネは土や水によって目を出します。

この土や水が氣づきなのではないかと思います。

いま苦労が多い人は、多くの幸せを手にできる人。

多くはないけど大きい人はきっと大きな幸せを手にできる人です。

そこから何を氣づくべきなのか、何を学べということなのか。

問題解決の糸口は必ずここにあります。

問題を解決することは私のためじゃなく、

和多志(私たち)のためです。

その大きな使命を背負っているというわけです。

それを成し遂げられそうもない人には問題は起きません。

神様にも任命責任があるということですかね(笑)

 

 

 

あとがき

正直、ここ最近、ずーーっと同じようなことを書いているなという感じがしてます。

でもこれ、書かされているんだろうなという氣もどこかでしています。

私は今年になってから毎朝、私なりに設置した神棚に向かって祈っています。

それは清水先生と斎藤一人さんのお話から教えてもらった方法で。

清水先生からは「神恩感謝」と三回唱えること(内言も可)。

一人さんからは「神様の仕事をさせていただけますように」ということ。

神様にはただ感謝の氣持ちを伝えるだけ。

その氣持ちを態度で表すのが神様の仕事をさせてもらうということだと思います。

何でもいまより上を目指すには練習や訓練が必要です。

それがつらいこともあるけれど、

そのつらさ(辛さ)は旨味というスパイスに変えて精進して行けたらいいなと思います。

今日のこの記事を書いているうちに、

先日撮影だけして編集もしていなかった動画を思い出しました。

思い出したので急きょ、編集しYouTubeにアップしました。

今回の記事と関連した内容の動画になっていますので、どうかご覧くださいね。


苦労は裏を返せば幸せになる

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

明日はあなたの苦労が幸せにひとつでも多くひっくり返りますように♡