人生に行き詰ったら読むblog♪

氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

きづく

今日は自分のなかのとても深いところと

繋がれた感覚が午前中にありました。

今までも書いたことがあると思うのですが、

私はシャワーに入った時に、

自分のカラダにお湯の温かさを

感じることで自分の存在を

より確かめられる感じがするんですよね。

感謝の気持ちでいっぱいになり、

軽く瞑想状態になります。

 

シャワーの後、

今日は528Hzのソルフェジオ周波数音楽を聴き、

顔にスチームをかけながら、

15分ほど瞑想しました。

そのときにふと頭の中に現れた言葉があります。

それは、きづくということ。

 

自分のなかの深いところで、

限りなく喜びにあふれている自分がいます。

真我ってやつですね。

これは本当に誰でもです。

いない人は1人もいません。

っていうことは、

特に何もしなくても、

私たちは幸せベースで生きているのです。

だから、

幸せってただ気づくものなんですよね。

このベースとなっている幸せに

いろんなもの(自我)がくっついて、

ふだんは忘れがちになってしまいます。

できるという奇跡を当たり前に感じてしまう。

いまここに生きていることは、

本当に奇跡的なことです。

このことに気づくだけで幸せになれます。

 

幸せは無限なので、

気づくことで

さらに大きく築くこともできるわけです。

 

たとえば何か外的な要因により、

心を乱されたり、

カラダを傷めたりして、

不自由さを感じたときに、

当たり前だと思っていたことが、

とても奇跡的なことなんだと

気づきますよね。

 

 

 

これはいじわるされたんじゃなくて、

神的な自分からのギフトです。

普段の幸せに気づいていないから、

気づかせるために贈られたギフト。

でもそれをギフトだと気づかずに、

参ってしまう人もいますね。

いじめっ子なら、

ちょっといじめてすぐに

泣く相手にこそ輪をかけた行動をしてきます。

その反応が見たいからですね。

でもどれだけいじめても

こたえない人にはそのうちやらなくなるでしょう。

一人さんのお話にもありました、

何をやられても「参らない」って言った者の勝ちなんだって。

 

また、こんな風に考えることもできます。

何を与えても喜ばない人に、

何かを与えたいと思いますか?

笑顔で喜ぶ人にこそ、

もっと喜ばせてあげたいと思うものです。

だから、

ふだん当たり前にできていることに

改めて目を向けてみましょう。

ひとつひとつの物や出来事や

一人一人の人に目を向けて

その存在にありがとうって感謝してみましょう。

最初はうまくできなくてもいいんです。

この前はうまくできたのに、

今日はできなくてもいいんです。

やろうと思うその気持ちが大事だから。

そうすることでさらなる幸福を築いて生きましょう。

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みんな仲良く(o^―^o)ニコ
 

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

そんなあなたが大好きです。