ネットが普及し
見ず知らずの他人とのつながりが
持ちやすくなって
いろんな情報が
行き交うようになり
便利な世の中になった副産物として
目立ち始めたのが
誹謗中傷という意識であり
言動かなと私は思います。
他人の言動に対して
自分の中でいろいろに思うのは
当たり前のことであり
どう思おうが
単にその人の中に
抱えている信念による
反応でしかないので
それは自由だと思うのですが
その思いを
わざわざその対象者に
ぶつけないことには
どうにも氣が済まないというのは
お互いにとって不幸なことです。
誹謗中傷する側の心を
ちょっと想像してみましょう。
私も過去に
買ったものが腐っていたり
中身が違っていたりとかして
店にクレームの電話を
かけたことなどがありますが
それですら
心は晴れやかではありませんでした。
つまり
言いたいことを
相手に言えば
スッキリするわけではないということです。
誰かの悪口・陰口なども
言った後には
何だか後味の悪さというものを
感じるものです。
これはおそらく
私たちが無意識下に
持っている罪悪感が働くのと
すべての存在は
深いところで繋がっていることの
証なのだと私は思っています。
私も自身がやっている
ライブ配信や動画などに
アンチ的なコメントや
低評価をつけられることがあります。
それを見ると
やっぱりカチンときたり
ショックだったりはします。
でもそのままでいると
自分がしんどいので
解釈を変えて
チャンネルを
切り替えるようにしていました。
たとえば
「幸せな人はこんなことをしない」
「誰かを否定したくなるのは
その人自身が自分の価値に氣づいていないから」
などと解釈するようにし
そういうことをする人たちを
かわいそうな人だと
思うようにしていたのです。
しかし
こういう現象は時々起きて
それを確認するたびに
やっぱり氣持ちは
多少なりとも落ちるわけです。
解釈を変えても
現象や反応が変わっていない。
ということは
解釈の仕方として
何か大事なところが
抜け落ちていて
不十分なのだと
氣がつくことができました。
これまでの解釈は
応急手当くらいのもので
本当の意味での
原因究明と解決には
いたっていなかったのです。
自分とういうのは
起きる現象を見て聞いて
それにどう反応するかによって
どんな信念が自分に
制限をかけているのかを知る
自分を分析して自分を知る
つまり自分を分かる者ということ。
誹謗中傷したくなるのも
されてしまうのも
自分以外の他人ではありますが
その役をやらせているのは
自分自身であることを知るということです。
誹謗中傷する
もしくはされることで
何に氣づけるのか。
私が思うのは
どちら側にしても
誰かを否定することで
自分自身を肯定したい
自己価値を確認したい
自分に許していないこと
あたりじゃないかと思います。
自分を愛せない人は
他人からも愛されない
もしくは
愛されていることに
氣づけなかったり
素直に喜べなかったりします。
他人に認めてほしいのは
まず自分が自分を
本当の意味で
認めることができていないから。
それに氣づかせるために
自分が見る世界に
登場してくる人たちが
その為の役を演じてくれているに
過ぎないのだとしたら
どう感じますか?
どんな人であろうが
自分の人生に登場する人は
すべて自分の中の信念の映し出し。
このようなしくみがわからないと
自分を傷つける相手が悪いとしか
思えないのでずっと
負のループから抜け出せずに
苦しみ続けることになります。
他人にその役を
やらせているのは自分ですが
自分を責めるのは筋違い。
本当は
自分を含め
誰も悪くないし
誰も間違えてなどいないのです。
みんな一人一人が
それぞれに自分を知るために
お互いに役を演じ合っているだけ。
だから自分だって
誰かの氣づきのために
一役買うことだってあるのです。
このしくみが理解できると
最終的には
自分にも他人にも
すべての人に許しと
感謝の氣持ちが湧いてきます。
すべての人が
このように他人を
そして物事を
解釈できるようになったら
世界はあっという間に
平和になるのではないかと
私は思うのですが
いかがでしょうか。
瞬間的に
怒りや憎しみなどを感じるのは
決して悪いことなのではなく
単なる反射的な反応に過ぎません。
それを見て
自分の中にある制限を知り
調整すればいいだけなのですから
どこまで行っても
自分も他人も責める必要は無く
すべては感謝になるのです。
一人一人が
自分を許し
自分の価値に氣づき
自分を心から敬い
そして
愛することができるようになれば
心がけや努力なしに
ごく自然に
他人を愛することも
できるようになると思います。
他人を傷つけたくなるのは
自分自身を満足させていない証拠。
自分を幸福にするも
不幸にするも
それができるのは
実は他人でも物でも無く
自分だけ。
外側の現象にとらわれず
自分を知り
整えていけばいいだけです。
すべてはうまくいっていて
そうなった方がいいからなってるだけ