氣がついたらもう10日ほどもブログを書く氣になれていませんでした( ̄▽ ̄;)
なぜか何かを作りたいっていう氣持ちにならずにいました。
別に何かあったとか、
氣分が落ち込んでいたとかいうわけでは全くなくて、
実はその間、
私はずーーーっと手放しワークをやっていましたよ。
私はブログの中に影響を受けている、
たくさんの方々を紹介してきましたが、
この引き寄せる順番が実に面白いな…と最近思っています。
新月や満月のワークに興味を持って見つけた木山愛深さんから始まり、
いろんな方々の本を読ませていただき、
それぞれの方々の表現の仕方や伝えている内容など、
本当にステップバイステップで引き寄せてるんだなって。
ここ最近ハマっているのは、並木良和さん。
YouTubeのおススメ動画に上がってくるようになり、
誰?って思っていたのですが、
Facebookのグループで動画が紹介されていて、
それを拝見したのがきっかけです。
彼の中性的で優しい語り口調でありながら、
ときどき飛び出る鋭いツッコミみたいな話し方がとても心地よい。
並木良和さんは統合ワークというのをされています。
私たち人間はみな人間として生きなくては経験できないことを
経験するために生まれてきたわけですね。
だけどもう十分に経験・体験を積んだから、
不要になったものを手放していこうということです。
私たちの魂は本来、
ただただ喜びと感謝と愛に満ちあふれている光。
つまり人間として存在しないとわからないものとは、
自分自身が何者なのかということと(何のために生まれてきたのか)、
ネガティブな感情とはどんなものかということ。
怒り・悲しみ・嫉妬・憎悪・罪悪感、
自己嫌悪・不足感・喪失感・恐怖・心配などなど。
これらを感じて喜ぶ人って恐らくいないのではないでしょうか。
しかし何も良くないことだけではありません。
生きているからこその喜びって、
五感などの感覚を通して味わえるものでもあります。
食べる喜び、愛するものや心地よいものに触れる喜び、
歌声、音を奏でる、創作などなど。
先日、レイキぶどうさんがブログの記事にされていた、
パガニーニという映画を観ました。
本編の中にパガニーニがシャーロットに、
アリアを歌わせるシーンで、
優しいパガニーニのまなざしの中で、
歌うシャーロットの美しい歌声。
これって生きてるからこそだなって思ったら、
涙が出てきました。
ちょっと話がそれてしまいましたが、
この喜びは残して、
周波数の低いネガティブなものとはさようならするのです。
ああしなくてはいけないとか、
人の目とか、常識とか、
変に囚われてしまって自分を不自由にしているもの。
輪廻転生を数えきれないくらい繰り返してきている魂に、
くっついてしまった間違った思い込みや信念。
だからものすごーーーーくたくさんたくさんあるのです。
だから無くなるまでやるのに結構根氣がいるわけです。
手放すとその下に埋もれていた古いものが出てくる感じで、
どんどんネガティブな感情が湧いてくるような事態が、
現実化して表れてきます。
そんなのイヤだ!と思われるかもしれませんが、
これは単に、
「はい、次はコレでその次はコレだよ~」ってなもんなわけです。
私も最初はこれにちょっと戸惑いましたが、
今はむしろ今日は何を手放せって言うのかな…って、
ちょっとワクワクするようになってきました。
そして明らかに変化を感じられる今日この頃。
あれだけ凝っていた首まわりや、
スーパー時代の職業病と思われた左腕の痛みが、
ものすごく軽くなってきているんです。
まだ完治というところまではちょっとかかりそうですが、
氣にならなくなってきているのはすごいと思います。
ってことはですよ、
私はいらないものを抱え込みすぎた結果、
身体に痛みを生じさせていたということになりませんか?
両手一杯に抱え込んで、
それだけじゃ足りなくなって背負ってもいたのでしょうか(笑)
この手放しワークは以前、
レイキぶどうさんに教えてもらったブロック解除と似ています。
手放したいものを視覚化して、
それを自分にとって良いものに変えて吸収する。
今年の2月に並木良和さんが1000人集めて、
統合ワークをした時の様子がYouTubeに上がっています。
4部に分けられてあがっているのですが、
とりあえず一番最初の動画を貼っておきます。
ひと通り聞き終わると、
実にタイミングよく、
自分に対する無価値観と罪悪感を手放すワーク部分だけを収録した動画が、
新たにあげられていたので、
ありがたく毎日利用させてもらっています。
音声だけなのでちょっとわかりづらいところもあったりしたのですが、
このワークに参加された関口さんと言う方が、
これまた実にわかりやすくイラストで紹介してくださっている、
ありがたい動画も見つけてしまいました。
いらないものをきっぱり処分することを「断〇離」という、
実にわかりやすい言葉を使わせていただいていましたが、
最近この言葉は商標登録されているものだと知り、
先日、この言葉も残念ながら当ブログから手放しさせてもらいました。
もしも望んでいないのに、
縁が切れてしまった物や人がいたとしたら、
それはもう自分にとって必要が無いから離れただけで、
それにより悲しんでいるのは自我の部分だけです。
その悲しみを手放していきましょうということであり、
「この感情を経験させてくれてありがとう」という感謝の氣持ちを添えて、
きれいさっぱりお別れしちゃいましょう。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
明日もすべての人々の心が平和でありますように♡