生きていれば、
大小問わず選択の連続ですね。
あなたはその選択を日々、
何で決めていますか?
今日はそんなことを考えてみようと思います。
人生は選択の連続
今日はどの服を着て出かけよう。
お昼ご飯は何にしよう。
どの仕事から片付けよう。
どの本を読もう。
どの曲を聴こう。
誰と過ごそう。
どの道を通ろう。
何をするにしても、
いろんな選択を人は強いられ、
何かしらを選択し、
人生を進んでいます。
日々の小さなことを
人生論に持ち込むのは
大げさなことに思われるでしょうか。
でも、小さな世界で起きていることは、
大きな世界につながっているんですよ。
何をもって決めている?
多くの人は頭の中で、
一般常識に則り、
自分や自分に近い人間の体裁や
損得をベースにして、
あらゆる選択肢の中から、
行動を決めているのではないかと思います。
私ももれなくそういうタイプの人間です。
なのに、それ(一般常識)が正しい生き方だと思って
来たにも関わらず、
なんだか自分なりに納得のいかない人生。
もちろん満たされていることも多々あります。
家族、パートナー、その他の人間関係、
健康面などなど。
本当にありがたいな…と思います。
しかし納得のいかない分野があるんですよね。
どうしても心がいやがる分野の現実が。
それは頭で決めてしまって、
心の声を聞いていないからだと思うのです。
私の心が教えてくれたこと
私の場合は仕事でした。
職場の人間関係にはいつも恵まれていて、
問題は無いのですが、
どうにもこうにも心が窮屈で、
どうしてだろうと考えてしまうことが
多々ありました。
そんなことを思いながら働いていると、
カチーンとくるような現実が、
仕事上で起こります。
私の場合、去年の夏に一度退職し、
冬にまた同じ会社に復職したのですが、
そもそも違和感があって辞めた仕事なのに、
また戻るものだから、
心が喜ばなくなるのは当然と言えば当然です。
私は本当は何をしたいのか。
これをとても考えさせられました。
心の声に耳を傾けてみよう。
そう思えたのです。
心の声に従う習慣を身につけよう
日々の小さな選択は、
だいたいの方が心の声に
従っているのではないかと思います。
何を食べるかやどんな服を着るかは、
だいたい気分で選びますよね。
気分で選ぶということは、
心の声を聞いているということです。
しかし、少しその問題が大きくなってくると、
今度は頭で考え始めるんですよね。
どちらを取ったほうが得だとか、
これを選ばないと損だとか。
心の声どころか、
その判断を完全に人任せにしてしまう…
なんてこともあるのではないでしょうか。
人任せにするということも、
自分で選んでいることにはなりますが。
だいたいは頭で考えたけど、
わからない場合に運を天に任せる的な
判断をしてしまうのではないでしょうか。
何かの選択を迫られたときは、
頭ではなく、心の感覚で決めるという
習慣を身につけることを意識してみては
いかがでしょうか。
それこそが自己愛
自分の心の感覚を重視して、
それで決定するということは、
自分を信じているということになります。
信じてもらえている側としたらどうでしょう。
もしあなたの友人に、
「あなたをとても信頼している」
と言われたらどうですか?
信頼されているというのは、
自分の存在価値を高く評価できることなので、
とても生きがいを感じ、
その信頼に応えたいと思いませんか?
ここにより大きな愛が生まれます。
これは自分と他人の間に限ったことではありません。
自分と自分の中の自分の間にも
同じことが言えるわけです。
信頼されている(愛されている)心は喜び、
その信頼に応えようとしてくれます。
これこそが本当の生き方なんだと思います。
あとがき
多くの人は人生を頭(脳)に支配されていて、
とても狭い範囲の中で生きている気がしてなりません。
しかし本来は脳は心の声を聞き、
それを実現させるための道具なのにもかかわらず、
脳に決定権を与えてしまって、
なんだか納得がいかないけれど、
妥協してしまう人生を歩まざるを得ないという
人が多いのではないかと思うのです。
ただ、これまでの生き方で、
十分に幸福に暮らしているという方には
関係のない話でして、
強要するものではありません。
あくまで私が私なりに考え、
私のために書いているブログです。
私のために書いたこの記事が、
私と同じような誰かに届き、
少しでも元気になってくれる人がいたらな…
と思って書いています。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
明日も皆様が幸福の感情に包まれて過ごされますように。