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氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

言霊学「成り合わぬ処」と「成り余れる処」とは

最初に何かのはずみで生まれた

意識の原初である天之御中主の神(言霊ウ)。

これは何だ?という

自覚の分析が始まりました。

自らを分けるのが自分。

言霊ウからのあらゆる言霊の発生は

まさに己を分析するための

細胞分裂のような働き。

 

前回までで伊邪那岐・伊邪那美による

子生みのための準備が整いました。

古事記は次のように続きます。

 

ここにその妹伊邪那美いもいざなみの命に問ひたまひしく

が身はいかに成れる」と問ひたまへば

答へたまはく

が身は成り成りて

 成り合はぬところ一処ひとところあり

まをしたまひき。

ここに伊邪那岐の命詔りたまひしく

「我が身は成り成りて

 成り余れるところ一処あり

 かれこの吾が身の成余れる処を

 汝が身の成り合はぬ処に刺しふたぎて

 国土くに生み成さむと思はすはいかに」と

のりまたへば

伊邪那美の命答へたまはく

「しかけむ」とまをしたまひき。

ここに伊邪那岐の命詔りたまひしく

しからば吾と汝と

 この天の御柱を行きめぐりあひて

 美斗みとの麻具波比せむ」とのりたまひき。

かくちぎりて、すなはち詔りたまひしく

「汝は右より廻り逢へ

 我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて

ちぎへて廻りたまふ時に

伊邪那美の命まづ

「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ

後に伊邪那岐の命

「あなにやし、え娘子おとめを」とのりたまひき。

おのもおのものりたまひ竟へて後に

その妹にりたまひしく

女人をみな先立ち言へるはふさはず」と

のりまたひき。

然れども隠処くみどおこして

子水蛭子みこひるこを生みたまひき。

この子は葦船あしぶねに入れて流しりつ。

次に淡島あわしまを生みたまひき。

この子も数に入らず。

 

これからはいよいよ

子生みが始まるのですが

上記の古事記の文章をお読みになって

何となく失敗していることが

お分かりいただけましたでしょうか(^▽^;)?

 

順に解説してまいります。

まず「成り合わぬ処」についてです。

 

成りは「鳴り」です。

成り合わないとは素の音である

母音のことを指しています。

アイウエオという音は

口を開けっ放しで

それ以外の何の動きも必要とせず

息が続く限り変化せずに

発声できる音です。

 

他の音と鳴り合わないという意味で

成り合わぬと表現しており

成り合わぬ処を持っているのは

伊邪那美の命であって

これは女性器を連想させます。

 

これにより「成り余れる処」の

理解が簡単になるかと思います。

 

まず成り余れる処を持つのは

伊邪那岐の命です。

 

伊邪那岐の神が指し示す言霊イは

他の母音のウオアエを支えながら

八父韻に展開する働きも併せ持ちます。

 

八父音の言霊を思い出してみましょう。

チイキミシリヒニでした。

これらをローマ字で表すと

Ti Yi Ki Mi Si Ri Hi Ni

というように親音*1のⅰの前に

TYKMSRHNという音が付いています。

この声にならない音を父韻と表します。

 

これらはひびきであって音ではなく

これらの韻にⅰがくっついて音となり

発音すると親音のⅰが

余る音として鳴っているので

成り余れる処となり

この表現が男性器を連想させています。

 

どうしてそれぞれを

男性器・女性器にかけているかというと

子音言霊を生む作業と

われわれ人類が子孫を残そうとする作業が

驚くほど合致しているからなのです。

 

もう少し内容を進めましょう。

 

成り余れる処を

成り合わぬ処に刺して塞いで

国を生みましょう…ということです。

成り余れる処が男性器

成り合わぬ処が女性器として考えれば

まさに生殖活動ですよね。

 

しかし古事記はそういうことを

言っているのではなく

あくまでも言霊が創られていく様子を

つまり原初の言霊ウを

理解するための機能を

整理して区切っていくことを

謎かけしながら説明していることを

忘れてはいけません(^▽^;)

 

父韻であるTYKMSRHNが

母音を刺し塞ぐように発音してみると

T+アでタ

T+イでチ

S+ウでス

…などのように私たちが

普段使っている音になり

五十音図が作られていくわけです。

 

伊邪那岐と伊邪那美の

呼び合いはよばいであり

これにより子である言霊が

生み出されていくということですね。

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そして一般的に

古事記のこのくだりは

続々と登場した神々のうちの

伊邪那岐と伊邪那美が

そのまま言葉通りに

国土を作っていく前段階の話として

捉えられていますが

やはりこれもあくまでも謎かけです。

 

国は「組んで似せる」の意味があります。

これから子音言霊が出来ていき

やがて五十の言霊が出揃うことで

森羅万象の事物を表すのに適した言霊を

組み合わせてその事物に似せる

つまり名をつけることができます。

 

名が付けばその名を知るだけで

事物の内容が理解され(言霊原理の理解があれば)

さらに共通の認識とすることができるので

思考の整理がたやすくなります。

 

日本書紀ではこのような作業が

できるようになったことを

伊邪那岐・伊邪那美が

「善きかな国のありけることを」と

喜んだ様子が書かれています。

 

また五十音図はそれぞれの音を

区切って分けていますよね。

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「区切る」を「国」で暗示しています。

 

言霊学についての記事の冒頭には

毎回書いていますが

もともとは最初に生まれた言霊ウが

自らを分析しようとして

起きてきている現象でしたよね。

 

この自覚している自分という意識は

一体何であってどこから来たのか

自分を知るために必要な言霊(意識・機能)を

生み出していくための方法が

伊邪那岐より伊邪那美に提案されました。

 

次回はこの子を生むための作業を

どのようなシチュエーションで行うか

…ということが相談され

試行されていきますのでどうぞお楽しみに。

 

今回も最後までお読みいただき

ありがとうございました(^▽^)♡

 

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*1:父母の働きを併せ持つ